アーレントの『人間の条件』をコンパクトにまとめました。
詳細解説はこちらで行いました → アーレント『人間の条件』を解読する
前置き
アーレントの著作はかなり読みづらいですが、ポイントさえ押さえてしまえば、比較的ストレートに理解できるはずです。
本書の構え
私たち人間の「活動力」を、「労働」と「仕事」と「活動」の3つに区分して、それぞれの本質について論じるとともに、近代社会が労働を重要視し、「仕事」と「活動」の占める領域を次第に狭めてきたとして近代社会を批判するという二本立てになっています。
後者の近代社会批判は、人間の「動物化」へと向けられています。ただ、アーレントは動物化にポジティブな面を全く認めていない点で、ポストモダン的な議論とは方向性が異なります。
では見ていきます。
労働、仕事、活動
- 労働 Labor
- 「必要(必需)」necessityに従属している
- 古代ギリシアで奴隷制があったのは、「必要」から解放されて、公的領域で自由となるため
- 仕事 Work
- 「作品」「工作」「制作」のこと(日本語でいう仕事は、むしろ労働のほう)
- 人間は有限な(必ず死ぬ)存在なので、時間を超えて存続するような世界を作り出そうとする
- 「労働」はもとある素材を混ぜ合わせるが、「仕事」は思考によって作品を制作する
- 活動 Action
- 差異性、他者性、多数性
- 行為と言論を通じて、「等しく異なる」人々同士が相互に自分が誰であるかを示す
- 「何であるか」ではなく、「誰であるか」
- 何であるか(what):肉体的アイデンティティ(性別、人種、年齢など)
- 誰であるか(who):人格的アイデンティティ(広い意味での「業績」による評価)
- 「何であるか」ではなく、「誰であるか」
公的領域と社会的領域
近代社会批判の文脈を意識すると分かりやすくなるはずです。アーレントは公的領域推し。
- 公的領域
- 活動の領域
- 言論の「テーブル」
- 人格的アイデンティティを発揮する「現われの空間」
- 社会的領域
- 私的領域
- 家族の拡大版
- 家族は「必要」により規定されている
- 画一主義
- 差異性、他者性を認めない
古代ギリシアでは公的領域が確保されていたが、近代社会では社会的領域が支配的となった。そのため「労働」が「仕事」と「活動」の領域を侵食し始めた。
仕事では機械によるオートメーション化が導入されるようになり、活動では画一性が求められ、他者との差異は抑圧されるようになった。労働そのものから苦痛が取り除かれることで、労働に服従していることが見えにくくなると同時に、余暇の問題が現われるようになった。
労働社会としての近代社会
近代社会は労働社会となった。
その理由はどこにあるか?答えはキリスト教にある。キリスト教は生命を重要視し、仕事や活動を生命の「必要」に従属させた。これにより、労働は取り除かれるどころか、むしろ義務とされた。
近代哲学はこの進み行きに挑戦しようとさえしてこなかった。いまや人間はみずから進んで動物へと退化しようとしているのだ。
全体的な評価
労働、仕事、活動の分類はなかなか上手く言えています。労働は「必要」によって求められるものであり、これを完全に無くすことはできない。それは確かにその通りです。仕事は創作活動を職業とするひとにとっては労働の意味もありますが、そうでない場合は「必要」によって迫られるわけではありません。
ただ、近代社会・近代哲学に対する批判が少し的を外していて、それが議論の全体に影を落としています。
たとえば、労働が仕事と活動を圧迫しているとするのは言い過ぎです。「オートメーションが人間固有のリズムを狂わす」論は、当時としてはそれなりの力をもったのかもしれませんが、何か強力な根拠があったわけではありません。
また、アーレントは「活動」に言論やそれに準ずる行為を想定していましたが、必ずしもそうでなければならないわけではありません。スポーツや文芸的なサークル活動もここに含めていいはずです。